おくりだすこと。
28日ヒサシさんのお葬式は自宅で行った。77歳だったそう。
今年は菅沼で4件もお葬式があったが、自宅ではニサブロウ爺さん以来のこと。
自宅での場合はどんな予定があっても、集落中の人がお手伝いしなくてはならない。
ニサブロウ爺さんのときは2,3年ぶりということで、集落の人も慌ててたが、今回は段取りもばっちりで、素晴らしい分業。素晴らしい団結力でお見送りすことができたと思う。
私にも、きちんと担当ができた。「Wみっちゃん(もう一人ミチコさんがいる)はいつものように配膳係で。」と言われ嬉しかったな。
セトヤマさんも駐車場係りを任命された。
出棺の様子も始めて見れた。寺世話人である、我が家の大家さんフミオさんが竹で作った弓矢を屋根に向けて放ったところで出棺になった。かっこよかったな。
お葬式では食べることが供養らしく、またしてもたくさん食べて、「ハナカゴ」というのもやった。かごから飴やお金が落ちてくる。それを本当は孫が拾うと聞いたが、カヲル婆さんが必死に飴ではなくお金を拾ってて、がめつい婆さん姿をみんなに見せてしまった。(笑)
そして、私が一番興味深い、女性だけの念仏!
親方のみつるあんねーが、なんと「みっちゃん鐘貸してやるよ。」と鐘を借してくれたのだ!初めてみんなに合わせて鐘を打ったよ。
メインの鐘の他に、もう一つ長い棒タイプの鐘があるんだけど、くにあにーの時、「その鐘を使ってみたい」と若い(といっても60代)人が言ったら、親方のみつるあんねーが「はー、使い方忘れた!菅沼はこの長いほうは飾りだな。」と言って終わってしまった。
しかし、今回は!「今日はコトラ大先生が来てくれました!」とみつるあんねーの先輩になるのか?80代のコトラあんねーが来てくれて、飾りだった鐘を使うことができたのだ!
バージョンアップ!
素晴らしい念仏になった。
若い人が「コトラあんねーまた、来て教えてくだい。」と言ったら、「おらも明日がわからない。」といって笑わせていた。
カヲルさんはいなかったけど、カヲル姉妹が「菅沼はこんな若い人たちも念仏を申すのか。。」とおどろしていて私も得意げに頑張った。
念仏申しが終わると、家の人にまた赤飯をもらう。これはなんでなんだろう?よくわからないことも相変わらずたくさんあるけど、やっぱり村のお葬式はすごい!
こんな風にお見送りできるのは光栄だと思う。
そして、みんな嫌な顔せずよく働く。また菅沼の団結力を見せられました。