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夫婦のカタチ

突然の訃報。

Katakataハウス(プレハブ小屋)の大家さん。
大竹文夫さんがお亡くなりになりました。

信じられない。信じられない。

どれほどお世話になったかわからない。

私に「炭」と出会うきっかけをくれた。

私にやりたいことを自由にやってごらん。チャンスをくれた。

私たちが夫婦になれたのも文夫さんとみさおさんのおかげ。(婚姻届の保証人にもなってもらったな。。)

いろんなこと一緒にたくさんやってきた。冬の間、居候させてもらった。村会議員の選挙、山に向かって演説して(笑)思い出すのはいつも笑顔の文夫さん。

母屋を借りたいと言ったスノーボーダー軍団の面接もしたな~。(怪しいと思ったらみんなの方がよっぽとちゃんとした社会人だった)みんなで改装してたくさん泊まりにきてくれたよね。

あの頃は多いときで年間200人くらいの人がプレハブ小屋と母屋を訪ねてくれて、来てくれた人たちをいつも穏和に迎えてくれた。

思い出が蘇る・・

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嘆き悲しんだ訃報から一週間経った。

文夫さんの葬儀では、角膜を提供したとして感謝状が送られていた。文夫さんの一部が2名の方の光になっているかと思うと嬉しくもあり、生前にそんな話を夫婦できちんとしているところが何とも大竹家らしくてにやついたり。

その後、手続きやらで留守番を任された。こういうとき、子供が近くにいないと何かと不便であると、自分たちに置き換えても考えさせられる。

居候していた時に私専用だった湯呑が今もあったり、一人であの頃にタイムスリップしたような感覚になる。

近所のおばさま(文夫さんの先輩)が届け物に、「まぁまぁお茶でも」と、勝手にあがってもらい、そのまま昔話に花が咲き、半日お茶のみ。お昼になると、おばさまの携帯に何度も電話が。

「何かようかい?用がなけりゃかけてくんな!」と電話を切る。

「まったくいやだね~、スキー場にバイト行ってるのに休み時間になるとかけてくるんだよ。」

って、旦那さんからの電話だった・・。上州の女は強い(笑)

思わず「ラブラブじゃん!!!」と叫ぶ私。

40年以上寄り添って今は二人暮らしなのに休み時間にまで電話!!すごーい!

おばさまが帰り、みさおさんが戻ったあとは、これまた非常に珍しい方が夫婦で弔問に。

生前、文夫さんが心配していた方で、最近は人前に姿を現さなかったのに・・「ふんぼーとはいつも意見があった。もめたこともなかった。本当に世話になった。」こうやって来てくれるところがやっぱり文夫さんの人望の厚さですな。

私とは大いにもめたことがある方ですが笑「久々にみっちゃんもいるし、お茶していくか」と。破天荒な旦那さんを支える奥さんが文夫さんの同級生ということもあり、昔話に花が咲く。(ここの家も山あり谷ありで・・すごいな・・。心のつぶやき)

長年夫婦として連れ添えばいろんなことがある。村で暮らしていると、蜜である分、いろんな話が包み隠さず聞けて(笑)。積み重ねた時間の数だけいろんな夫婦のカタチがある。

そういえば、私が大竹家に居候することになったのも全国に仕事に出掛ける文夫さんが奥さんを心配して「みっちゃん、冬の間、うちに居候してくれないか?」とお願いされたんだったな。

さぁ、ため息ばかりついていた一週間もこれでおしまい!

私たちも瀬戸山家の時間を積み重ねていくぞ!