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師匠の講演会。

20090329111551
金次郎師匠の講演会が片品村役場で行われた。
この講演会の主催は渋川木炭組合。
群馬県木炭協会長である師匠の話を地元である片品村で聞こう!という流れだ。翌日は窯の見学会も企画されている。
主催者の人が私の新聞記事を読んで炭アクセサリーも展示してほしいとリクエストをいただいた。
何も考えずに展示したけど、そうここに集まったのは炭焼きのスペシャリストばかり。。
想像以上にコアな人達で私のアクセサリーを広げるとすぐに、写真を撮りまくられた。
そんなコアな講演会だったが、現役の炭焼きさんや炭を販売する業者さんが15人くらい。後は片品の知り合いが10人くらいという感じで非常にもったいなかった。
最近、いろんな講演会に出席している私としては色々と感じることが多い。
師匠の前に講演をしてくれたのは関東燃料企業組合の代表、古澤さん。
古澤さんの話の中に海外で日本は温暖化に対する技術が進んでいると言われていて、その中でも特に炭が注目されている。
炭のもつ土壌改良効果がもっとも期待されているんだって!
資料を見ると、イギリスで行われた「炭の国際ワークキャンプ」の講演に杉浦銀治先生(銀爺)が写っているではないか!
銀爺は師匠の一つ年下、84歳でイギリスに行って講演ですか。。
しかもその記事には、銀爺が、異例の講演をしたと書いてある。
いきなり静まった会場で備長炭をたたき音をひびかせ、「私は今まで炭焼きをずっとやってきたけど、こんなに若い人達に注目されたことはなかった。どんどん研究をしてほしい。」と言ったそうだ。
想像できる〜。
私は、初対面でいきなり「君はシャーマンになれる!」 と言われたな。。
銀爺はイギリスで講演。
金爺は片品で講演。
かっこいい!!
師匠の講演の内容は、「私の人生と炭焼き」とだけあって、師匠の凄まじい人生話を聞いた。
役場や安定した就職先はいくつもあったが自分はいっぱしの百姓になると決め、百姓や養蚕を頑張った。
炭焼きは冬の副業だった。炭焼きで稼いだ金を百姓の資金にしていたそうだ。
そして規模も拡大し順調になったころ、減反になってしまい百姓はダメ。養蚕も輸入におされダメになってしまった。
今まで築いてきたものが全てダメになった時、師匠には炭焼きがあった。
ちょうどそのころ、県で木酢液の研究が進められていて師匠も受けることにした。
木酢液の研究のために北海道以外、日本を旅して研究した。
60歳を過ぎていた。
木酢液は人気になり炭焼きには嬉しい副産物だったが、今は木酢液は売れなくなった。
以前、書いたように「特定農薬」の件がきっかけだった。5年たった今も審議中。
そんな人生の中でも娘三人は大学をだして教員の免許をとらせることができた。息子も農業学校を出て炭焼きを継ぐ。
政府や行政のせいにしないで一人一人の努力が大切だと師匠は語る。
どんな炭を焼いたらお客が喜ぶだろうか?
それに気づかせてくれたのは炭焼きだった。
この話は木炭組合の人達だけでなく、若い人に聞いてほしい話だった。
「いつも人間は時代の奴隷だ。」と始まる映画があるけど、私もそう思う。
いつの時代もそれぞれ悩みはあった。
それを前向きにとらえ、地道に努力すること。
そうだよな〜。