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甲斐さんのバトン

昨年秋にカヲルさんが亡くなって、今年に入り恩師の一人である農文協の甲斐さんが亡くなったと知り、正直それからずっと心に穴が空いたみたいに気持ちが落ち込んでいた。

村を歩くと、荒れた畑は増え、お年寄りが亡くなった家やその周辺は草だらけ。農村の景観はお年寄りたちが保っていたのだと、何度も感じ、その度になんとも言えない寂しさに襲われる。
そんな中、全国に点在する甲斐チルドレンたちが、「甲斐良治を語りバトンを引き継ぐ会ー甲斐良治とは何者だったかー」を開催すると聞いて、即参加表明し、本当は本部の鴨川自然王国まで飛んで行きたかったけど、赤坂の農文協サテライト会場へ駆けつけました。

サテライト会場は宮城、福岡、宮崎、などなど。全国から個人参加、ニューヨークからも参加されてる方もいて、改めて甲斐さんのすごさに驚く。

開会の挨拶で、中田さんが甲斐さんの遺影を紹介してくれた。すごく甲斐さんらしい写真。

なんと、その写真は山梨在住、片品村で出会った賀川さんの亡くなられた旦那さまが撮られた写真だと知り、びっくり!!!

片品村に来た17年前、最初に働いたペンションで、オーナーが、パーマカルチャーの本をリスペクトしていて、この本の深緑色に軽トラを塗り替えたい!と、ペンキで塗った。
あの本も甲斐さんが作った本で、ロングセラーとなったらしい。そんなこと知らなかった。

あぁ、なんだかいろいろ繋がるね、甲斐さん!

甲斐さんとの出会いは私の富ヶ谷のルヴァンで個展をさせていただいたときに来てくれて、私のブログを読んで、「その記事をそのまま増刊現代農業に書いて」と言ってくれたのがきっかけ。

当時、増刊現代農業は農村の現場のリアル、というか、おそらく農村では変人と言われてる人たちがどのような思いで、取り組んでいるのかを紹介していた泥臭い本だった。私も増刊に尾瀬ドーフが紹介されていた記事を読んで、働かせてもらったようなものだし🤣ボラバイトで出会った若者たちも増刊を読んでいる人が多かった。

何かを始めるには勇気がいる。その人の思いをまとめ伝え届ける。地域を知り、地域に学ぶ。そこから未来が見えるのだ。
甲斐さんに育てられた農村ライターも全国にいて、気づけば私もその一人となった。本当にたくさん記事を書かせていただいて、農村に飛び込んだ若者の立場でたくさん講演もさせていただいた。

全国の甲斐チルドレンの話を聴きながら、途中、歌手のyaeさんが有機農業会のパイオニア的存在、金子さんの訃報が届いたと、びっくり発言が😱またしてもレジェンドが旅立ったのか。。

一つの時代が終わっていく。。

その中でもこれだけたくさんの人が甲斐さんからバトンを受け取っているのだと思うと、少し気持ちが軽くなった。

15年前、赤坂で飲みながら「私、うかたまに出るのが夢です!!」と言ったら、甲斐さんはしょんぼりしていた。今思えば若い頃って、平気で失礼なこと言っていたなぁ。(今もか)
私だったら怒るのに甲斐さんはしょんぼりしていた。申し訳なかったなぁ。育ててもらっておいて。。って思う。

そんな私が今、うかたまでエッセイを書かせていただいている。甲斐さんは、どう思ってたんだろう。感謝の言葉をちゃんと伝えればよかった😭

赤坂に一人で泊まって、うかたま編集部のみなさんに挨拶しに、翌日またしても農文協に向かった。

うかたま編集部のみなさんのフレッシュさと言ったら🤣🤣

若くてかわいらしい編集部の皆様!ここ本当に農文協??

編集長に「みっちゃんのエッセイ、ずっっと続けてほしいです!!絶対ネタはつきないから大丈夫!」と言われて、泣くほど嬉しかった。あー、甲斐さん!甲斐さんが教えてくれたこと。農村のリアルを自分の言葉で伝えて届ける。それ、ちゃんと受け取ってもらえてるみたい。編集部のみんなはリアルに甲斐さんからバトンを受け取ることはなかったかもしれないけど、私が違う形でちゃんとバトンを繋ぐから。

そう思いながら、東京をあとにした頃には、不思議と未来しか見えなくなりました。

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